1~4件目 (4件中)
前項の続きです。 別項で述べましたが 【安土桃山時代】に到っては織田・豊臣の両氏から【織豊(しょくほう)時代】の方が正確であるのみならず そもそも【桃山城】と言う城は無かった訳です。 豊臣秀吉の居城であった【伏見城】の跡地が後に桃山と呼ばれた、とすれば当時は絶対に【桃山時代】と呼ぶ事は無かった訳です。 続きは次項で。 &n...
前項の続きです。
別項で述べましたが
【安土桃山時代】に到っては織田・豊臣の両氏から【織豊(しょくほう)時代】の方が正確であるのみならず
そもそも【桃山城】と言う城は無かった訳です。
豊臣秀吉の居城であった【伏見城】の跡地が後に桃山と呼ばれた、とすれば当時は絶対に【桃山時代】と呼ぶ事は無かった訳です。
続きは次項で。
当時の人々の呼称と言うなら 江戸時代の人々は自らの生きた時代を【江戸時代】とは言っていないでしょう。 また【江戸幕府】【徳川幕府】とも言わず 【公方(くぼう)】様の天下あたりでしょうか。 続きは次項で。 ...
当時の人々の呼称と言うなら
江戸時代の人々は自らの生きた時代を【江戸時代】とは言っていないでしょう。
また【江戸幕府】【徳川幕府】とも言わず
【公方(くぼう)】様の天下あたりでしょうか。
続きは次項で。
初代【神武天皇】から第44代【元正天皇】に至る歴代天皇(及び神功皇后)の【漢風諡号】の殆どは【懐風藻(かいふうそう)】の撰者とされる淡海三船によって一括して撰ばれました。 存命中の天皇に対しては諡号を用いる事は有り得なかったとして、 現在は【今上(きんじょう)天皇】と言う語が有りますが、昔はそもそも 【天皇】と言う語も用いられず【御上(おかみ)】や【帝】、【太上天皇(上皇)】...
初代【神武天皇】から第44代【元正天皇】に至る歴代天皇(及び神功皇后)の【漢風諡号】の殆どは【懐風藻(かいふうそう)】の撰者とされる淡海三船によって一括して撰ばれました。
存命中の天皇に対しては諡号を用いる事は有り得なかったとして、
現在は【今上(きんじょう)天皇】と言う語が有りますが、昔はそもそも
【天皇】と言う語も用いられず【御上(おかみ)】や【帝】、【太上天皇(上皇)】に対しては【院】と呼ばれたと思います。
従って存命中は諡号で呼ばれなかったと言うのは【聖徳太子】を用いない理由にはなりません。
当時そう呼ばれなかったからと言い出したら全ての歴史用語を再検討する必要が有ります
続きは次項で。
【文部科学省】の新しい【学習指導要領】一部に 【聖徳太子】を【厩戸王(うまやどのおう)】と呼ぶとの提案が有ります。 確かに聖徳太子の実在に疑問を唱える学説も存在します。 厩戸王は実在したが、【日本書紀】に描かれた聖徳太子は虚構との説も有ります。 しかしながら聖徳太子が厩戸王の【諡号】で有った事は教科書に於いて【聖徳太子】と言う用語を用いていけない理由にはなり...
【文部科学省】の新しい【学習指導要領】一部に
【聖徳太子】を【厩戸王(うまやどのおう)】と呼ぶとの提案が有ります。
確かに聖徳太子の実在に疑問を唱える学説も存在します。
厩戸王は実在したが、【日本書紀】に描かれた聖徳太子は虚構との説も有ります。
しかしながら聖徳太子が厩戸王の【諡号】で有った事は教科書に於いて【聖徳太子】と言う用語を用いていけない理由にはなりません。
そもそも近年を除いて歴代天皇の【諡号】は存命中用いられていません。
これは当然で【諡号】の【諡(し・おくりな)】とは本来貴人の死後(天皇の場合崩御後)贈られる名だからです。
従って存命中の【昭和天皇】との呼称は本来は有り得ないと思います。
続きは次項で。
1~4件目 (4件中)
< |
> |
|||||
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |