前項の続きです。 石平氏は 1962年四川省成都市で生まれ、【文化大革命】で1966年教師であった両親が大学から追放されて農場へ【下放】され祖父に養育されますが、氏が11歳の時祖父も逝去します。 中学校時代、ゴミ拾いの貧しくも優しい老婆が近所に住んでいました。 ある日突然その老婆がいなくなり、【反革命分子】として政府に逮捕されます。 数日後、老婆はトラックに乗せられ町中を...
前項の続きです。
石平氏は
1962年四川省成都市で生まれ、【文化大革命】で1966年教師であった両親が大学から追放されて農場へ【下放】され祖父に養育されますが、氏が11歳の時祖父も逝去します。
中学校時代、ゴミ拾いの貧しくも優しい老婆が近所に住んでいました。
ある日突然その老婆がいなくなり、【反革命分子】として政府に逮捕されます。
数日後、老婆はトラックに乗せられ町中を引き回しの上銃殺されました。
この老婆が【毛沢東】主席を批判したとして処刑された理由。
ゴミ捨て場から拾った(毛沢東の顔写真のあった)新聞紙で野菜を包んでいたからということをその後に知り氏は衝撃を受けたそうです。
続きは次項で。
前項の続きです。 米山知事の発言に関して石平氏は 「彼(米山知事)は意図的に、人権侵害を平気で行う中国の独裁政権と、 民主主義の手続きで選ばれた日本政府と混同している。 この本質の差を無視して一方的に私を攻撃するとは、公人としては不見識であり、卑劣でさえある。」 「帰化人の私にとっても日本政府は自国の政府だ。 しかし米山氏は望月記者に関してだけ『自国の政府』...
前項の続きです。
米山知事の発言に関して石平氏は
「彼(米山知事)は意図的に、人権侵害を平気で行う中国の独裁政権と、
民主主義の手続きで選ばれた日本政府と混同している。
この本質の差を無視して一方的に私を攻撃するとは、公人としては不見識であり、卑劣でさえある。」
「帰化人の私にとっても日本政府は自国の政府だ。
しかし米山氏は望月記者に関してだけ『自国の政府』の表現を使うが、私を中国政府と結びつける。それは明らかに、帰化人を日本人と認めない排外主義的態度だ!」
と反論しています。
続きは次項で。
前項の続きです。 石平氏は2007年11月30日に日本に帰化して、既に10年近く経っています。 米山知事は石平氏について 「(前略)石平氏は今や、祖国を離れ、独裁政権と批判する中国政府と直接対峙することなく日本人向けに中国政府批判を(中略)闘う望月記者の歌を闘わない石平氏が笑う事は吐き気を催すほど醜悪だと思う」 と非難しました。 日本に帰化して、既に10年近く...
前項の続きです。
石平氏は2007年11月30日に日本に帰化して、既に10年近く経っています。
米山知事は石平氏について
「(前略)石平氏は今や、祖国を離れ、独裁政権と批判する中国政府と直接対峙することなく日本人向けに中国政府批判を(中略)闘う望月記者の歌を闘わない石平氏が笑う事は吐き気を催すほど醜悪だと思う」
と非難しました。
日本に帰化して、既に10年近く経った石平氏を日本人と認めない米山知事の差別発言はとても公人とは思えません。また「闘わない石平氏」とはどういう根拠で述べたのでしょうか。
続きは次項で。
米山隆一新潟県知事は、日本に帰化した評論家・拓殖大学客員教授の石平(せきへい)氏を非難しました。 発端は、菅義偉官房長官への定例記者会見に於いて執拗に質問を繰り返す『東京新聞』の『望月衣塑子』記者。彼女のインタヴュー記事、雑誌『月刊日本』の2017月8日号に掲載された 「望月衣塑子 それでも私は権力と戦う」にあります。 石平氏は 「彼女のやっていることは、何のリスクもない民主主義国家で意地...
米山隆一新潟県知事は、日本に帰化した評論家・拓殖大学客員教授の石平(せきへい)氏を非難しました。
発端は、菅義偉官房長官への定例記者会見に於いて執拗に質問を繰り返す『東京新聞』の『望月衣塑子』記者。彼女のインタヴュー記事、雑誌『月刊日本』の2017月8日号に掲載された
「望月衣塑子 それでも私は権力と戦う」にあります。
石平氏は
「彼女のやっていることは、何のリスクもない民主主義国家で意地悪質問で政府の記者会見を妨害するだけだ。そんなのを『権力と戦う』とは、吐き気を催すほどの自惚れだ!」
と批判しました。
記者には質問の権利があるので、石平氏の実態の把握は正しくとも、確かに表現は穏当ではないかもしれません。
しかしながら米山知事の石平氏の批判は根強い差別意識に根ざしたヘイトスピーチと言えます。
続きは次項で。
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