前項の続きです。 ① 公暁が「親(頼家)の敵…」と言って実朝を討ったとするのは、不自然。 仮に時政の教唆が有ったとしても、 実朝の生年月日は1192年9月17日 頼家の死去は1204年8月14日 (今日でいうと満年齢11歳)当時は【数え年】13歳だった「実朝に頼家の死の責任は無い」 事は公暁にも分かる筈。 続きは次項で。...
前項の続きです。
①
公暁が「親(頼家)の敵…」と言って実朝を討ったとするのは、不自然。
仮に時政の教唆が有ったとしても、
実朝の生年月日は1192年9月17日
頼家の死去は1204年8月14日
(今日でいうと満年齢11歳)当時は【数え年】13歳だった「実朝に頼家の死の責任は無い」
事は公暁にも分かる筈。
続きは次項で。
前項の続きです。 三代目【源実朝】が甥の公暁に殺され、その公暁も討たれます。 そして頼朝の直系男子は絶滅。 私はこの件のみは【北条時政】【北条義時】の陰謀では無かったと思います。 あくまでも推論に過ぎませんが…。 続きは次項で。 ...
前項の続きです。
三代目【源実朝】が甥の公暁に殺され、その公暁も討たれます。
そして頼朝の直系男子は絶滅。
私はこの件のみは【北条時政】【北条義時】の陰謀では無かったと思います。
あくまでも推論に過ぎませんが…。
続きは次項で。
前項の続きです。 1219年頼朝の直系男子が断絶。 【執権】であった北条義時は【親王将軍】を望みますが 【後鳥羽上皇】に拒否されます。 そこで頼朝の姉妹であった【坊門姫】の曾孫に当たる幼児 【藤原頼経】を四代将軍に擁立します。 藤原姓ですが、傍系とは言え頼朝の血筋を引く。 大義名分も立ち、幼児なので傀儡として利用しやすい。 二代続けて...
前項の続きです。
1219年頼朝の直系男子が断絶。
【執権】であった北条義時は【親王将軍】を望みますが
【後鳥羽上皇】に拒否されます。
そこで頼朝の姉妹であった【坊門姫】の曾孫に当たる幼児
【藤原頼経】を四代将軍に擁立します。
藤原姓ですが、傍系とは言え頼朝の血筋を引く。
大義名分も立ち、幼児なので傀儡として利用しやすい。
二代続けて【摂家将軍】と呼ばれ、次いで四代続けて【宮将軍】が擁立されます。
続きは次項で。
前項の続きです。 北条氏は着々と有力な御家人を滅ぼし 1204年 頼家も遂に幽閉され、最期を迎えます。 1213年 【和田義盛】も討たれます。 次いで三代目の鎌倉殿 【源実朝】も 1219年 甥の【公暁(「くぎょう」または「こうきょう」)】 に暗殺されます。 続きは次項で。 &nbs...
前項の続きです。
北条氏は着々と有力な御家人を滅ぼし
1204年
頼家も遂に幽閉され、最期を迎えます。
1213年
【和田義盛】も討たれます。
次いで三代目の鎌倉殿
【源実朝】も
1219年
甥の【公暁(「くぎょう」または「こうきょう」)】
に暗殺されます。
続きは次項で。
前項の続きです。 1199年の 頼朝の突然の死以降 有力な御家人であった 【梶原景時】が 1200年 【比企能員(ひきよしかず)】が 1203年 【畠山重忠】が 1205年 次々と謀略で滅ぼされます。 それぞれ【~の変】【~の乱】等となっていますが、彼等は謀反を起こした訳では有りません。 従って...
前項の続きです。
1199年の
頼朝の突然の死以降
有力な御家人であった
【梶原景時】が
1200年
【比企能員(ひきよしかず)】が
1203年
【畠山重忠】が
1205年
次々と謀略で滅ぼされます。
それぞれ【~の変】【~の乱】等となっていますが、彼等は謀反を起こした訳では有りません。
従ってこれらの呼称はおかしいのですが
言わば勝てば官軍【(北条)得宗家史観】によるものです。
続きは次項で。
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